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ある出来事 [生きる意味(その57)]

(28)ある出来事
 「心がつながる」というのは手の場合よりもっと無媒介で直接的なつながりを意味しています。しかし、心にも皮膚があるとすれば、どうやって無媒介につながることができるのか。「心がつながる」あるいは「心がひとつになる」といった言い回しは、皮膚で包まれた心のイメージとうまく合致してくれません。
 心はもともと「ぼくの心」や「きみの心」というように皮膚で囲われているのではないと考えるべきでしょう。つまり、心はもともとひとつにつながっているということです。もともと別々の心がひとつにつながると考えるとどうにも腑に落ちませんから、発想を逆転させて、もともとひとつにつながっている心が、いつの間にか別々の心だと思われるようになっただけと考えるといい。
 そうしますと、「心がつながる」喜びは、「心はもうすでにつながっていることに気づく」喜びということになります。
 ひとりの生徒のことを思い出します。高校に入ったものの、そこに居場所を見つけることができず、自暴自棄になってある問題行動を起こしてしまった男子生徒のことです。それをやったのが彼であることは他の生徒の証言で明らかなのですが、彼はそれを認めようとしませんでした。
 ぼくは彼の担任として、何度も、正直に言いさえすればそれほど大事にはならないから、と説得したのですが、一旦ついたウソを引っ込めることができないまま、事態はどんどんこじれていきました。ぼくは彼がウソをつき通そうとするのを許しませんでした。それが彼には気に入らなかったのかもしれません、最後に「シズメテヤル」という何とも恐ろしいことばを残して彼は学校を去っていきました。

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