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「生きる意味」はひとそれぞれではない! [生きる意味(その69)]

(40)「生きる意味」は人それぞれではない!
 もともと誰のものでもない「生きる意味」を囲い込んだから、「ぼくの生きる意味」や「きみの生きる意味」があるように見えるだけです。ここまで来て、ようやく「生きる意味は人それぞれか?」に答えられそうです。
 「生きる意味なんて人それぞれさ」となるのは、ぼくには「ぼくの生きる意味」があり、きみには「きみの生きる意味」があるというように、「生きる意味」は誰かのものだと思うからです。しかし、そう思うのは「生きる意味」を柵で囲い込むからで、もともと「生きる意味」にぼくもきみもないのです。
 としますと、「生きる意味は人それぞれか?」の答えはもはや明らかです。―“NO!”ぼくが生きることには意味があるが、きみが生きることには意味がない、というように、人によって「生きる意味」があったりなかったりすることはないということです。「生きる意味」があるとすれば、すべての人に等しくあるということです。
 今や、「生きていたってしょうがないじゃん」と言う女子高生にはっきり答えることができます。「ぼくが生きていることに意味があるんだから、きみが生きていることにも意味があるよ。ただきみはそれに気づいていないだけなんだ」と。
 「ふむ、きみの言うことは一応もっともだ。だけどね、その女子高生がこう言ったらどうする、“わたしが生きていることに意味がないんだから、あんたが生きていることにも意味なんてないわよ。あんたはそれに気づいてないだけよ”と。」 
 「うーむ。」
 章を改めて考え続けたいと思います。

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