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『コーラン』にそう書いてあるからよ [生きる意味(その70)]

          第3章 「生きる意味がある」ということ
(1)『コーラン』にそう書いてあるからよ
 「いる」ことを安心して受け入れるためには他者が不可欠で、「生きる意味」も他者からの贈り物として与えられます。そのお蔭でぼくらは生きているのです(第1章)。そして、「何のために生きるか?」(生きる目的)は人それぞれですが、「生きることは素晴らしいか?」(生きる意味)には、ぼくもきみもありません。ですから、ぼくが生きていることに意味があるとしますと、きみが生きていることにも意味があります(第2章)。
 しかしそうしますと、あの女子高生の「生きていたってしょうがないじゃん」はどうなるのでしょう。もし彼女が生きていることに意味がないとしますと、ぼくが生きていることにも意味がないことになってしまい、「生きる意味」なんて誰にもないということになりかねません。本当に「生きる意味」はあるのでしょうか。
 こんな場面を想像してみましょう。ここはイスラム圏のとあるマーケット。5歳ぐらいの子どもを連れた母親が買い物に来ています。
 「お母さん、ここに“ハラル”って書いてあるけど、これどういう意味?」
 「あゝ、それはね、食べていいという意味だよ。豚肉とかアルコールを一切使ってないという印なの。」
 「ふーん。どうして豚肉やアルコールはダメなの?」
 「『コーラン』にそう書いてあるからよ。」
 子どもに分別があれば、もうこれ以上母親に問いかけることはしないでしょう。「どうして『コーラン』に書いてあったらダメなの?」と聞いてはいけないのです。『コーラン』に従うのはイスラム教徒としての大前提だからです。

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