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「生きる意味が感じられない!」にとう答えるか」? [生きる意味(その81)]

(12)「生きる意味が感じられない!」にどう答えるか?
 どうでしょう。この議論が正しいとすれば、「学校を続けることに意味はあるか?」という問いはただのナンセンスか、さもなければ「学校を続けることに意味はあるのだろうが、それを感じられないのはどうして?」と言っていることになります。
 生きることも同様ではないでしょうか。「生きることに意味はあるか?」という問いは、ただのナンセンスか、それとも「生きることに意味はあるのだろうが、それが感じられないのはどうして?」といっている。「生きるって素晴らしいことだと思うよ。だからこそぼくは今現に生きている。だけど悲しいことにその素晴らしさが実感できないんだ。何か砂を噛むような空しさを感じるんだ。どうしてだろう?」と。
 ここまできて、「生きる意味」が問われる時は、ほとんどの場合喪失感を伴っていることが理解できます。「生きる意味」は、それが感じられている時は滅多に意識されず、それが感じられなくなってはじめて意識されるのです、「生きる意味が感じられないよ!」と。 
 その点で「生きる意味」は空気と似ています。空気は、それがなくては一瞬も生きていられないものなのに、普段誰も意識しません。ところが、高山に登ったりして、それが希薄になったと感じてはじめて意識されるのです。「生きる意味」も同じです。それがあると感じられることは滅多になく、希薄になってきたと感じて慌てて騒ぎ出すのです。
 さて、この「生きる意味が感じられない!」にどう答えたものでしょうか。「そうか、きみには感じられないか、それは仕方がないね」としか言えないのでしょうか。

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