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二種類の真理 [生きる意味(その102)]

(6)二種類の真理
 万有引力の法則という真理は「ぼくのもの」となったのです。それが証拠に、これが理解できていない友人は試験で0点なのに、ぼくは100点です。ぼくがそれを「所有している」ことを先生から認めてもらったという訳です。
 しかし、釈迦が求め、ぼくや林郁夫が求めた真理も、それと同じように「自分のものにする」ことができるようなものでしょうか。ぼくがそれを「自分のものにする」と100点で、友人はそれを「自分のものとする」ことができずに0点、といった類のものでしょうか。そんなことでいいのでしょうか。
 万有引力の法則なら問題ありません。ぼくは100点で彼は0点でも、まあ彼としては嬉しくはないでしょうが、だからといって大騒ぎするほどのことではありません。万有引力の法則ごときで人生は左右されないからです。しかし…。
 釈迦やぼくが求めた真理(釈迦とぼくを同列に置いて、おこがましい限りですが)と万有引力の法則とはどう違うのでしょう。
 釈迦やぼくが真理を求めたのは、生きることに付き纏うさまざまな煩悶から解放されるためです。釈迦のことばでは、煩悩から解脱するためです。煩悩とは、妬み、恨み、憎しみなど、胸を掻き毟りたくなるような苦しみを与えるものです。釈迦やぼくはこうした煩悩から解脱できるような真理を求めたのです。
 一方、万有引力の法則など、いわゆる自然科学の真理は、それを知ることによって、生活の不便を少しでも取り除き、より快適に生きられるようにするためのものです。前に紹介しましたF.ベーコンの「知は力なり」ということばは、真理というものは生活を改善する力にならなければならないという意味です。

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