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偶像崇拝の禁止 [生きる意味(その110)]

(14)偶像崇拝の禁止
 「無からの創造」という場合、「無から」というところにポイントがあります。もし既に存在している材料を使って世界を造ったのでしたら、神はこの世界の中にいることでしょう。現にある材料を加工しなければならないのですから、その材料とともに世界の中にいなければなりません。ちょうどぼくらがいろいろな材料を加工してモノを作るのと同じことです。
 しかし無から創造するとなれば、造る神は造られる世界とはまったく別であり、造られる世界の中にいることはできません。
 「偶像崇拝の禁止」という掟があります。神を象(かたど)ってはいけないという、一神教に生きる人々にとって非常に重要なこの掟は、ぼくら多神教の世界に生きている者にはピンとこないのですが、これも造る神と造られる世界の明確な区別に由来します。
 造る神と造られる世界は全く別次元で、造られる世界は見えますが、造る神は見えません。造られることによってはじめて見えるようになるのですから、造る主体はどこまでも見えません。見えてしまったら造られたものになってしまいます。ですから神を象ってはいけないのです。象ってしまうと見えるものになってしまうからです。
 しかし、ぼくら多神教世界の住民は神々とともに生きていますから、まわりは偶像だらけです。世界の一つひとつの事物が神々です。この山が神であり、この木も神です。注連縄(しめなわ)を巡らせばそれでよしです。

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