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光をひとり占めしようとして [生きる意味(その115)]

(19)光をひとり占めしようとして
 ある強欲な人物が、光をひとり占めしようとして、光源を頑丈な鉄の箱の中に囲い込んだとしましょう。確かに光は届かなくなりましたが、ということはその強欲な人物にも届かないということです。
 それではと、その箱に小さな穴を穿って、そこからもれる光を自分だけ浴びようとしても、あにはからんや、光は穴から四方に発散してしまいますから、独り占めすることは難しい。
 よし、それでは自分だけその箱の中に入ってしまおう、そうすれば完全に光を独り占めできる。なるほど、それはその通りですが、そのことによって彼は一人ぼっちになってしまいます。そこは光あふれる極楽かもしれませんが、しかし孤独地獄です。
 所有することは孤独であることをみてきました。
 さて、「縁起」は知るものではなく、生きるものでなければならないのに、「万有引力の法則」を生きるとは誰も言いません。それは知るものであり、教えるものではあっても、生きるものではありません。一体何が違うのでしょう。
 こういうことです。「縁起」の「みんなひとつにつながりあっている」の「みんな」には、もちろん「ぼく」も含まれますが、「万有引力の法則」の「みんな互いに引き合っている」の「みんな」には、「ぼく」は含まれないのです。物体としてのぼくは含まれますが、「ぼく」はそれを外から見ています。

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