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世界そのものに虚偽はない [生きる意味(その123)]

(27)世界そのものに虚偽はない
 道具としての真理はいわば「半分の真理」です。前に言いましたように、万有引力の法則=「みんな互いに引き合っている」の「みんな」には、このぼくが含まれていないからです。ぼくは「みんな互いに引き合っている」のを外から眺めています。
 一方、縁起=「みんなひとつにつながりあっている」の「みんな」には、このぼくが含まれていなければなりません。「みんな」にぼくが含まれていなければ、ぼくは縁起の法を外から眺めることはできても、それを生きることはできないからです。ぼくとは別に真理があるのではなく、ぼく自身が真理であり、世界そのものが真理なのです。
 それを道具として使う真理は「ことば」でしたが、それを生きる真理は「世界そのもの」です。

 
 「振り出しに戻るようで恐縮だけど、きみの言うように世界そのものが真理だとすると、虚偽の存在する余地がなくなってしまうような気がするんだが。」
 「ふむ。世界そのものに虚偽はあり得ない。」
 「だけど、虚偽のないところでは、もう真理ということ自体が意味をなさないのじゃないかな。虚偽があるから真理もある。」
 「ごもっとも。確かに世界そのものは真理でも虚偽でもない。ただね、世界そのものをことばに表そうとする時に虚偽が忍び込む可能性があるんだよ。釈迦が説法を躊躇したのも、きっとそのことに関係があると思うんだが。」

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