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ある雨の朝 [生きる意味(その131)]

(5)ある雨の朝

 突き詰めて言えば、みんな多かれ少なかれ「いじめっ子」だということです。
 いじめられている子だって、ある日突然いじめる側に回りますし、いじめている子が反対にいじめられたり、目まぐるしく入れ替わります。みんな心のどこかに「いじめ虫」を飼っているのです。この「いじめ虫」というヤツ、普段は大人しくしているのですが、好物のにおいがしてくるとモゾモゾと蠢きだす。
 小学校時代のことを思い出します。人にはどれだけ時間が経っても、ああ、あの時どうしてあんなことをしてしまったんだろう、と悔やむことが一つや二つはあるものでしょうが、ぼくは同級のひとりの女の子に心ないことばを投げつけてしまったのです。当時は日本全体が貧しかったのですが、その女の子の家はとりわけ貧しかった。その子の汚れた服装は目立ちました。可哀そうに、みんなの輪の中に入れず一人ぼっちでした。
 ある雨の朝、ぼくはその子にとんでもないことを言ってしまいました。その子の運動靴の底に穴があいているのを見て、“そんな靴、履いてても履いてへんでも一緒やんか”と言ってしまったのです。その時の彼女の眼が忘れられません。彼女は眼に斜視の障碍があったのですが、その眼で驚いたようにぼくを見つめていました、一言も言わずに。ぼくからそんなことを言われるのが意外で仕方がないという顔をしていました。ぼくはすぐ後悔しました、“何でこんなことを言うてしもうたんやろ”と。


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