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一陣の風 [生きる意味(その135)]

(9)一陣の風

 柿の実はしっかり熟していなければ、ちょっとやそっとで落ちることはないでしょう。その意味では、柿の実は落ちるべき時期が来て自ずと落ちるのです。同じように、「先生ごめん」と言われても、ぼくの心の準備ができていなければ、何も起こらなかったかもしれません。
 ぼくが彼の捨て台詞「シズメテヤル」にこだわり、絶対許せないと思い続けていれば、「先生ごめん」と言われても、「今さら何言ってるんだ」と思うだけかもしれません。ところが、ぼくはもう彼との心理的葛藤にほとほと疲れ和解の機会を待っていたのです。とすれば、和解するべくして和解したということになります。
 では、「カーン」という音は何でしょう。「先生ごめん」のひと言は何でしょう。それはたまたまのことだと言っても、本人にとっては単なる偶然とは思えません。「カーン」があったからこそ、突然目の前が開けたのです。「先生ごめん」のひと言があったからこそ、「もうすでに心はつながっていたんだ」という気づきが起こり、胸が熱くなったのです。
 熟した柿の実が一陣の風でぽとりと落ちた。「カーン」や「先生ごめん」は、この一陣の風のようなものでしょうか。一陣の風によって落ちた柿の実とすれば、その風がなければ落ちることはないのではないでしょうか。そこにある運命が感じられるかもしれません。同じように、「先生ごめん」というひと言が一挙に事態を変えた。


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