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「自分」が突っ張る [生きる意味(その138)]

(12)「自分」が突っ張る 

 ぼくという<場>で生きる意味が感じられているのに、どうしてきみという<場>では感じられないのか、これを「縁」とか「機」という仏教のことばで考えてきました。きみという<場>で生きる意味が感じられないのは、その「縁」に恵まれないからであり、「機」が熟していないからだと。
 「わたし二十歳をすぎてまで生きていたくないもん」と明るく言ってのけた女子高校生にもう一度登場してもらいましょう。
 「生きていたってしょうがないじゃん」―この明るいニヒリズムに虚を突かれたような思いがしたものですが、そんな彼女も多分今頃はもう結婚して子どもにも恵まれ幸せな家庭を持っているに違いありません。高校生の時にそんなことを言ったことなどケロッと忘れて、「生きているって結構いいじゃん」と言っているんじゃないでしょうか。「縁」に恵まれ、「機」が熟したのです。
 「わたし二十歳をすぎてまで生きていたくないもん」と突っ張っていた時だって、本当のところは「生きているって素晴らしい」と言いたかったのです。言いたいのだけど、言えない。突っ張っていたからです。
 「突っ張る」とは言いえて妙です。「自分」の角がツンツンとんがっています。「生きている意味が感じられない!」のは、この「自分」が突っ張っているだけなのです。


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