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雲上快晴 [生きる意味(その147)]

(21)雲上快晴

 ぼくの好きなことばに「雲上快晴」というのがあります。ぼくは旅行が好きで、よく飛行機に乗ったものですが、飛行場では雨がザーザー降っているのに、飛行機が厚い雲を突っ切ってその上に出ますと、あれっ、辺りは真っ青な空、太陽の光がまぶしいくらい。
 地上と雲上のコントラストにびっくりします。そして気づくのです、そうか、太陽はいつだってぼくらを照らしてくれているんだと。地上はどんなに天気が悪くても、それは分厚い雲が太陽の光を遮っているだけなんだと。
 聖書に「求めよ、さらば与えられん」とあります。普通は「必死に求めなさい、そうすれば必ず与えられますよ」と解釈されます。でも、ぼくはそれを「必死に求めなさい、そうすればもうすでに与えられていることに気づきますよ」とうけとめたい。
 求めることが条件となって、与えられるという結果が得られるのではない。それでは条件つきです。そうじゃありません、もうとっくに無条件で与えられているのです。ただそれに気づいていないだけ。雲上はいつも快晴なんです。ただそれに気づいていないだけなのです。
 「自分」が突っ張っている時は、なかなか気づけません。だけど、ある時「自分」がぽとりと落ちると、燦燦と降り注いでいる光がもうとっくに届いていることに気づくのです。「生きる意味」はいつも燦燦と降り注いでいるのです。

                完

 あすから「『末燈鈔』を読む」を始めます。


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