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『末燈鈔』を読む(その34) ブログトップ

第3段 [『末燈鈔』を読む(その34)]

(13)第3段

 さて第3段です。

 しかれば無明煩悩を具して、安養浄土に往生すれば、かならずすなわち無上仏果にいたる、と釈迦如来ときたまへり。しかるに、五濁悪世のわれら、釈迦一仏のみことを信受せむことありがたかるべしとて、十方恒沙(ごうしゃ)の諸仏証人をならせたまふとも、善導和尚は釈したまへり。釈迦・弥陀・十方の諸仏、みなおなじ御こゝろにて、本願念仏の衆生には、かげのかたちにそえるがごとくしてはなれたまはず、とあかせり。しかれば、この信心の人を、釈迦如来は、わがしたしきともなり、とよろこびまします。この信心の人を真の仏弟子といへり。この人を正念に住する人とす。この人は摂取してすてたまはざれば、金剛心をえたる人と申なり。この人を上上人とも、好人とも、妙好人とも、最勝人とも、希有人ともまふすなり。この人は正定聚のくらゐにさだまれるなり、としるべし。しかれば弥勒仏とひとしき人とのたまへり。これは真実信心をえたるゆへに、かならず真実の報土に往生するなりとしるべし。
 
 (現代語訳)ですから、無明や煩悩のまま浄土に往生すれば、必ず無上の悟りに至るのです、と釈迦如来が説かれています。しかし、濁りきった悪世に生きるわれらは、釈迦仏のことばだけでは信じて受け入れることは難しいかもしれないと、十方の無数の諸仏がその証人となられたのだと、善導和尚は解説してくださいました。釈迦や弥陀、そして十方世界の仏がたがみんな心をひとつにして、本願念仏を信じる衆生にかげがかたちにそうように離れずにつきそってくださるのですと明らかにしてくだされたのです。ですから、この信心の人を、釈迦如来は「わが親しき友」と喜ばれるのです。この信心の人を「真の仏弟子」と言います。また「正念に住する人」とも言います。この人を弥陀如来は摂取して捨てられませんから、「金剛心をえた人」と言います。この人を「上上人」とも、「好人」とも、「妙好人」とも、「最勝人」とも、「希有人」とも言います。この人は「必ず仏になる位」に定まったと心得るべきです。ですから「弥勒仏とひとしい人」と言われます。真実の信心を得たのですから、必ず真実の浄土に往生できると知るべきです。


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