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こゝろざしのぜに [『末燈鈔』を読む(その92)]

(11)こゝろざしのぜに

 この手紙は覚信房に宛てられています。覚信房は下野高田の人で、この人については少し先の第14通の中で印象的に語られています。覚信房が仲間とともに国を発って京に向かう途中病気になり、仲間の人たちは帰った方がいいとすすめるのを、「死ぬのであれば帰ったとしても死ぬし、留まったとしても死ぬ。どうせなら聖人の傍で死にたい」と話したとされます。そして覚信房は京についてまもなく亡くなるのですが、この手紙の末尾で親鸞が覚信房に「いのち候はゞかならずかならずのぼらせ給ふべく候」と願っているのを受けての上京でしょう。二人の間柄がしのばれます。
 冒頭の二行は追伸のようです(後ろに余白がなくなり、やむなく前の余白に書き込んだと思われます)。ここに登場する専信房とは、もとは下野高田で真仏の弟子でしたが、後に遠江に住むようになったようで、「京ちかくなられて候こそ、たのもしうおぼえ候」とはそのことを指しているのでしょう。こんなことばを見ますと、親鸞が関東の弟子たちをどれほど頼りにしていたかが分かります。専信房の名は第17通にも登場します。また『親鸞聖人正統伝』という高田派の親鸞伝によりますと、専信房は親鸞の臨終に際して、その頭を剃ったとされています。この人もまたかなり近しい関係だったことがうかがえます。
 またここで「こゝろざしのぜに」のことが出てきます。他の手紙でもしばしば「こゝろざしのぜに」に対するお礼のことばが書かれていますが、親鸞の暮らしは「こゝろざしのぜに」によって支えられていたのだという事実に改めて気づかされます。親鸞はすでに僧籍はなかったでしょうから、僧侶であることによる生活の保障はない訳で、「非僧非俗」ということばの具体的な姿が浮かび上がってきます。なお三百文ですが、一貫文(千文)で米を一石(約140キロ)買えたといわれます。


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