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第17通 [『末燈鈔』を読む(その129)]

             第9章 他力と自力

(1) 第17通

 他力のなかには自力とまふすことはさふらふときゝさふらひき。他力のなかにまた他力とまふすことはきゝさふらはず。他力のなかに自力とまふすことは、雑行・雑修・定心念仏をこゝろにかけられてさふらふひとびとは、他力のなかの自力のひとびとなり。他力のなかにまた他力とまふすことは、うけたまはりさふらはず。なにごとも専信房のしばらくゐたらんとさふらへば、そのときまふしさふらふべし。あなかしこあなかしこ。
 銭貳拾貫文慥々給候。穴賢々々。
  十一月廿五日                             親鸞

 (現代語訳)「他力の中の自力」ということは聞いております。しかし「他力の中の他力」ということは聞いておりません。「他力の中の自力」といいますのは、念仏以外のさまざまな修行をしたり、あるいは心を集中して仏を念ずる修行を心がけておられる人々は、他力の中の自力の人々です。「他力の中の他力」ということは承っておりません。詳しいことは、専信房がしばらくこちらにおられるそうですから、その折にお話しましょう。謹言。
 銭二十貫文、確かに頂戴いたしました。謹言。

 文中に専信房の名が出てきました。覚信坊宛て第11通の追伸に「専信房、京ちかくなられて候こそ、たのもしうおぼえ候へ」とあったことを思い出します(6章-10,11)。そこでも述べましたように、専信房は下野高田の人ですが、のちに遠江の国に移りすんだようです。その専信房がしばらく京に滞在するようだと言われています。また、第11通でも「こころざしのぜに三百文」を受けとったことが記されていましたが、ここでは「銭二十貫文」も頂いたとあります(千文で一貫文)。


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