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「ただいま」は過去・現在・未来とは別 [『末燈鈔』を読む(その139)]

(11)「ただいま」は過去・現在・未来とは別

 誓願に遇うのは「ただいま」でしかないということ。これにはさまざまな疑問が出されるに違いありません。たとえば「昨夜、誓願に遇った」というように、過去のある時点で遇うこともあるじゃないかと。これは文語体にしますと「誓願にあひき」となるでしょうが、そのような表現があるのは当然のことです。そのことと、誓願に遇うのは「ただいま」であることは何ら撞着しません。
 一方、誰かと会うのは「ただいま」のこともありますが、そうでなければならないことはありません。むしろ「あした会おうと思う」の方が普通ではないでしょうか。「あした彼に会いたいのだが、どこが適当かな」というように。でも「あした誓願に遇おうと思う」はありえません。
 「あした誓願に遇うかもしれない」とは言うでしょう。文語体では「誓願にあはむ」ですが、これも自然な表現です。でもそれは、あしたという日において、「ただいま」誓願に遇ったということが起こるかもしれないということで、誓願に遇うのはあくまで「ただいま」です。
 「ただいま」は、過去・現在・未来の時制とは別概念だということです。「ただいま」は、過去のことでもあり、現在のことでもあり、未来のことでもあるということ。文語体で言いますと、完了の助動詞「つ」は、その下に過去の助動詞「き」を伴い「てき」となったり、あるいは推量の助動詞「む」を伴い「てむ」となったりしますが、それは「ただいま」を表す「つ」は時制とは関係がないということです。
 誓願に遇うのは、それが過去のことであれ、現在のことであれ、未来のことであれ、「ただいま」だということです。


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