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どうして人を殺してはいけないか? [『末燈鈔』を読む(その166)]

(7)どうして人を殺してはいけないか?

 十悪の最初にくる「生きものを殺すこと(殺生)」を考えましょう。なぜ生きものを殺すことが悪なのか。生きものが人間の場合、よほどのことがない限り、この疑問は生じないでしょう。しかし神戸の少年A事件のときのように、「どうして人を殺してはいけないのか分からない」などと言う若者が現れるかもしれませんから、これをスルーするわけにはいきません。
 なぜ殺人は悪なのか。
 人が人を殺すなどということはあってはならないことですが、実際は日々ごく普通に起こっています。どうして殺人が起こるのか、具体的な状況はさまざまでしょうが、結局のところ、ある人間の存在を消さなければならないという切羽詰った事情があるということです。ある人間の存在が邪魔になり、消えてもらわなければならない。そこまで考えてのことではなく、怒りのあまりということもあるでしょうが、そのときも、ある人間の存在を許せないと思っています。
 わが都合で、ある人の存在を抹消するということは、その人を「わがもの」とすることに他なりません。「わがもの」だから抹消してもいいというわけです。
 さて、ある人の存在を「わがもの」として自由に処分していいということは、他の人たちから承認されるでしょうか。このペンは「わがもの」だから自由に処分していいというのは問題なく承認されるでしょうが、人間の存在はそうはいきません。もしそれを承認してしまったら、自分自身がその対象になる危険がただちに迫ってくるからです。「わがもの」であることは、他の人たちから承認されるかどうかにかかっているのですから、ある人の存在を「わがもの」とすることは決して承認されず、したがってそうすることは端的に悪と言わなければなりません。


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