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『末燈鈔』を読む(その188) ブログトップ

第7通 [『末燈鈔』を読む(その188)]

(7)第7通

 次の手紙です。2段に分け、まず第1段。

 六月一日の御文、くわしくみさふらひぬ。さては鎌倉にての御うたへのやうは、おろおろうけたまはりてさふらふ。この御文にたがはずうけたまはりてさふらひしに、別のことはよもさふらはじとおもひさふらひしに、御くだりうれしくさふらふ。
 おほかたは、このうたへのやうは、御身ひとりのことにはあらずさふらふ。すべて浄土の念仏者のことなり。このやうは、故聖人の御とき、この身どものやうやうにまふされさふらひしことなり。こともあたらしきうたへにてもさふらはず。性信房ひとりの沙汰あるべきことにはあらず、念仏まふさんひとは、みなおなじこゝろに御沙汰あるべきことなり。御身をわらひまふすべきことにはあらずさふらふべし。念仏者のものにこゝろえぬは、性信房のとがにまふしなされんは、きはまれるひがごとにさふらふべし。念仏まふさんひとは、性信房のかたうどにこそなりあはせたまふべけれ。母・姉・妹なんどやうやうにまふさるゝことは、ふるごとにてさふらふ。さればとて、念仏をとゞめられさふらひしが、よにくせごとのおこりさふらひしかば、それにつけても念仏をふかくたのみて、世のいのりにこゝろをいれて、まふしあはせたまふべしとぞおぼえさふらふ。

 (現代語訳)六月一日付けのお手紙、詳しく読ませていただきました。さて鎌倉での訴訟の様子は、おおよそ承っておりました。このお手紙と違わないことを承っておりまして、大変なことになることはなかろうとは思っておりましたが、無事にお帰りになられて嬉しく思っております。
 およそこの訴えは、あなたお一人のことではありません。浄土を願う念仏者すべてに関わることです。この訴えのようなことは、法然上人の時に、私などもいろいろに言われてきたことです。取り立てて新しい訴えではありません。あなた一人に関わる訴訟ではありません、念仏申しているみんなに対する訴訟です。あなたを笑うことでは決してありません。念仏者の中でも心得のない者が、あなたの罪にしてしまうなら、とんでもない誤りです。念仏する人たちはあなたの味方にこそなるべきです。あなたの母親や姉、妹などもさまざまに言われているようですが、これも昔からよくあることです。と言いましても、念仏が停止されたことがもととなり、世にとんでもないことが起こりましたので、それにつけても念仏を深く頼んで、世の安穏を祈って念仏すべきと思います。


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