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かへすがへす不便のことにさふらふ [『末燈鈔』を読む(その219)]

(6)かへすがへす不便のことにさふらふ

 本文の中で親鸞は、半信半疑ながら信願房が「造悪無碍」を説いていることを嘆いていましたが、ここでは、それに加えて入信坊・真浄坊・法信坊、さらには性信房、そして「くげどの」といった人たちも、信願房と同じような言動をしているらしいことを「かへすがへす不便(ふびん)のこと」と悲しんでいます。しかし「このひとびとのひがごとをまふしあふてさふらへばとて、道理をばうしなはれさふらはじとこそおぼえさふらへ」とありますように、この人たちについても、必ずしもうわさ通りではなかろうと思っていそうな雰囲気が伝わってきます。
 この手紙とほぼ同じ頃に書かれた手紙が『末燈鈔』第2通で、建長7年10月3日の日付けがあります(第2章)。「かさまの念仏者のうたがひ、とわれたる事」への返信で、中心は「自力と他力」など教えをめぐる問題ですが、中にこんな一文がありました、「この信心をうることは、釈迦・弥陀・十方諸仏の御方便よりたまはりたるとしるべし。しかれば諸仏の御おしえをそしることなし、余の善根を行ずる人をそしることなし。この念仏する人をにくみそしる人おも、にくみそしることあるべからず、あわれみをなし、かなしむこゝろをもつべしとこそ、聖人はおほせごとありしか」。
 この文面は、先の第9通、およびこの第10通と共通し、そこからもこの二通が書かれたのが建長7年の9月であることが傍証されると思うのですが、おもしろいことに、『末燈鈔』第2通はその末尾に「これさらに性信房・親鸞がはからひ申にはあらず候」とあり、「かさまの念仏者」に対して、親鸞は自分と性信房を並べて、この手紙で述べたことは二人が勝手に言っているのではありませんとわざわざ断っているのです。これを見ましても、親鸞の性信房に対する信頼は決して揺らいでいないことが伺えます。


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