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慈信一人に、よる親鸞がおしえたるなりと [『末燈鈔』を読む(その224)]

(11)慈信一人に、よる親鸞がおしえたるなりと

 どうやら問題の核心は、慈信房が人々に「わがきゝたる法文こそまことにてはあれ、ひごろの念仏はみないたづらごとなり」と説いてまわっていることにあるようです。親鸞が、それがただのうわさではなく事実であったと確信したことは慈信房宛ての3通目、いわゆる義絶状に次のようにはっきり書かれています。「又、慈信房のほうもんのやう、みやうもく(名目)をだにもきかず、しらぬことを、慈信一人に、よる親鸞がおしえたるなりと、人に慈信房まふされてさふろふとて」(あなたが説かれている教えのことは、その名前さえ聞いたこともなく、まったく知らないのに、あなた一人に夜わたしが教えたと人々に言われているそうですが)と。
 親鸞の長男が東国にやってきて、「わたしは父から直に教えを受けていますが、それは、あなた方が日頃信じておられることとは異なります」と言えば、「おほくのひとびとのたぢろぎさふらふ」のももっともでしょう。これまで信じてついてきた中太郎をおいて、慈信房のもとへ走ることもありうることです。そして中太郎など、親鸞から教えを受けた念仏者たちとしては、思いもかけない成り行きに戸惑い、どういうことだろう、慈信房が嘘をついているのだろうか、それとも親鸞は自分の息子にだけ秘密の教えを伝えているのだろうかと疑心暗鬼になったと思われます。
 突然ですが、ここでぼくの頭には『歎異抄』第2章の状景が浮かびます。「をのをの十余ケ国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちをとひきかんがためなり」。この「身命をかへりみずして、たづねきた」人たちとは、慈信房の言動から疑心暗鬼になった念仏者たちではなかったろうかと想像してみたいのです。「親鸞聖人は、慈信房殿にだけ何か特別な“往生極楽のみち”を教えられているのでしょうか。もしそうでしたら、われらにも是非お教えください」と詰め寄ってくる人たちの姿が浮かんできます。


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