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性信房宛ての3通目 [『末燈鈔』を読む(その237)]

(12)性信房宛ての3通目

 性信房宛ての手紙は全部で5通残されていますが、その3通目に当ります(第13章-8、通し番号189参照)。
 この手紙に日付けはありませんが、性信房宛の一つ前の手紙、『親鸞聖人御消息集』第7通(建長8年7月9日)からそう遠くない時点で書かれたと思われます。と言いますのも、その第7通に「なをなをとく御くだりのさふらふこそ、うれしくさふらへ」とあり、この第13通冒頭の「くだらせたまひてのち、なにごとかさふらふらん」とつながっているからです。「鎌倉にての御うたへ」から常陸に無事に帰れたことを喜び、その後いかがですかと気遣っているのです。この手紙は性信房から来た手紙への返信ではなく、たまたま源藤四郎殿にあうことができ、手紙を託すことができたから書きました、ということです。
 手紙の内容も第7通とほぼ同じと言えます。
 第7通の核心部分を改めて抜き出しておきます。「念仏まふさんひとびとは、わが御身の料はおぼしめさずとも、朝家の御ため国民のために、念仏をまふしあはせたまひさふらはゞ、めでたふさふらふべし」。「わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために、御念仏こゝろにいれてまふして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえさふらふ」。この手紙では「御身どもの料は、御念仏はいまはなにかはせさせたまふべき。たゞひがふたる世のひとびとをいのり、弥陀の御ちかひにいれとおぼしめしあはゞ、仏の御恩を報じまいらせたまふになりさふらふべし」とあり、ぴったり同じ趣旨です。
 あなたの往生はもう確かに定まりましたから、これから称える念仏は「仏の御恩を報じ」るもので、「ひがふたる(あやまっている)世のひとびと」が「弥陀の御ちかひ」に入りますようにと祈られるがよろしい、という趣旨です。


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