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ふり向けば本願の海が [『正信偈』を読む(その39)]

(5)ふり向けば本願の海が

 親鸞は『教行信証』「信巻」において「たてさま(竪)」と「よこさま(横)」を対比しています。「たてさま」とは自力ということで、「これから」目標に向かって一歩一歩進むというイメージ、「よこさま」とは他力ということで、「いま」もうすでに目標にいることに気づくというイメージです。 
 前にも言ったことがありますが、「よこさま」とは「ふりむけば愛」(これは昔のある映画のタイトルです)ということで、ふりむくと、そこにはもうすでに愛が…、ということです。群生海に浮き沈みしていて、あるときふとふりむくと、そこはもうすでに本願海であることに気づいて驚く、これが「よこさま」です。
 さて、群生海がそのまま本願海だとしますと、「すべてよし」ということです。カントは死ぬ間際に「Das ist gut(これでよし)」と言いましたが、われら凡夫の海がそのままで仏の海でしたらいつでも「Das ist gut」です。もう何も思い煩うことはありません。
 ここがしかし微妙なところで、「ならば、信心も念仏も意味がない」ということになりかねません。もうみんなすでに本願の海にいるのだから、それを信じようが信じまいが関係ないじゃないか、念仏をしようがしまいがどちらでもいいじゃないか、と。
 なるほど、本願を信じるか信じないかに関係なく、本願の海にいます。念仏をするかしないかに関わらず、もうすでに本願に包み込まれているのです。では信心も念仏も意味がないのでしょうか。
 とんでもありません。信心があるかどうか、念仏をするかどうか、すべてがここにかかっていると言ってもいい。


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