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大乗運動 [『正信偈』を読む(その74)]

(4)大乗運動 

 さて、空の思想と浄土の教えの間にはどう見てもかなりの開きがあります。しかしそのことを考えるとき、龍樹は大乗の運動の中に現れた理論家であることを忘れるわけにはいきません。龍樹が大乗仏教の理論を大成したというよりも、大乗運動の中で生み出されたさまざまな理論が龍樹という人物に仮託されたと言った方がいいのかもしれません。実際、龍樹の著作とされているもので、ほんとうに龍樹が書いたのが確かなのは『中論』だけだそうです。
 ところで、大乗の運動とは何かと言いますと、これまでの出家仏教を在家仏教へと革新した運動だと言えるでしょう。
 これまでの仏教はごく一部の出家者が厳しい修行を重ねて悟りを目指すものでした。篤志家の寄付によって出家者たちの生活が支えられていたことは祇園精舎(コーサラ国にあった寺院)などの成り立ちから分かります。出家者は普通の生活者とは隔絶された世界で悟りのための修行に励んでいたのです。悟りはそのような世界でしか得られないとしますと、普通の生活者は悟りから隔絶されていることになります。
 これは何か不自然ではないでしょうか。
 ある人は悟りをひらき、生死の苦しみから解放されたが、すぐ隣にいる人は苦しみにもがいているというのは、どこかおかしくはないでしょうか。苦しみにもがいている人がいる以上、自分も苦しみから解放されたとは言えないのではないか。大乗の運動はこの感覚からスタートします。みんなが苦しみから解放されて、はじめて自分も苦しみから解放される、ここからスタートするのです。それは出家者のための仏教から生活者(在家)のための仏教へと変わることです。


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