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他力に位階はない [『正信偈』を読む(その92)]

(3)他力に位階はない

 他力に位階や段階はないでしょう。あなたはここまで行ったからこれが与えられ、あなたはそこまで行ったからあれが与えられるということは原理的にありません。それでは「思いがけず向こうから与えられている」ことにはならないからです。
 一方、自力には位階がつきものです。これができれば2級、ここまで行けば1級というように、時間をかけて一段一段上がっていくものです。難しいことなら、ものすごく長い時間をかけて階段を上がっていかなければなりませんし、どれほど易しくとも、最低限それができるか、できないかという階段はあります。
 しかし、繰り返しますが、他力には位階は一切ありません。「あるとき思いがけず向こうから与えられている」ことに何も差はありません。あなたにはこれだけ、あなたにはもう少し多くということはないのです。それでは「向こうから与えられている」のではなく、「こちらから手に入れる」ことになるからです。
 他力は「段階を追って」ではなく「一挙に」です。
 そこで改めてこの偈文をじっくり読んでみますと、そこに時間的な経過などないようにも思えてきます。「功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲」と「蓮華蔵世界に至ることを得れば、即ち真如法性の身を証せしむ」、そして「煩悩の林に遊んで神通を現じ、生死の薗に入りて応化を示す」とが「一挙に」与えられるように読むこともできるのではないでしょうか。
 「大会衆の数に入ること」はそのまま「蓮華蔵世界に至ること」であり、そしてそれはまた「生死の薗に入りて応化を示すこと」でもあると。さてしかし、そう理解した途端に、先の「今生と来生」の問題、そして「娑婆と浄土」の難題が突きつけられてきます。


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