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不老長生 [『正信偈』を読む(その101)]

(3)不老長生
 
 曇鸞が「インドにはこの仙経に勝る不老長寿の法がありますか」と問うたのに対して、菩提流支は『観無量寿経』を示し「ここにこそ本当の不老不死の教えがあります」と答えたと言うのです。このあたりの話はちょっとできすぎの感がありますが、ともあれ曇鸞が菩提流支との出会いをきっかけに神仙思想に見切りをつけ、浄土往生の教えに目覚めたことは確かでしょう。この浄土往生への回心が道綽、善導に受け継がれ、ひいては日本浄土教を切り開いていくことになるのです。
 しかし龍樹の「空」を学んでいた曇鸞ですから、浄土へ往生することをこの世の延長線上にあの世に生まれ変わることと考えていたのではないでしょう。浄土往生とは「無生の生」でなければなりません。その後曇鸞は菩提流支が翻訳した天親の『浄土論』を注釈して『浄土論註』を著し、浄土とは何かを明らかにしようとします。それを親鸞は「天親菩薩の論、註解して、報土の因果、誓願に顕わす」と述べています。浄土の因も果も法蔵菩薩の誓願によることを顕かにしてくれたと。
 ここを読んで印象的なのは、やはり「仙経を梵焼して」という箇所です。親鸞としても強く印象に残ったのではないでしょうか、エピソードにすぎないとも思えることを、短い偈文の中にわざわざ入れているのですから。龍樹の「空」の思想を研究して、梁の皇帝から尊敬されるほどの人が、病をきっかけとして神仙思想になびくというのはどうしたことだろうと興味を引かれたと思います。神仙思想は、中国において伝統的に、無病息災・不老長寿の宗教として大きな力を持っていたのでしょう。病を得た曇鸞も、その現世利益の宗教にすがった。
 現世利益の宗教と浄土の教えはどう違うのかをここで考えておきたいと思います。


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