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往還の回向は他力による [『正信偈』を読む(その104)]

           第15章 曇鸞―正定の因はただ信心なり

(1)往還の回向は他力による
            15
 往還回向由他力(おうげんえこうゆたりき)  「往還の回向は他力による。
 正定之因唯信心(しょうじょうしいんゆいしんじん) 正定の因はただ信心なり。
 惑染凡夫信心発(わくぜんぼんぷしんじんほつ) 惑染の凡夫、信心発すれば、
 証知生死即涅槃(しょうちしょうじそくねはん)  生死すなはち涅槃なりと証知せしむ。
 必至無量光明土(ひっしむりょうこうみょうど) 必ず無量光明土に至れば、
 諸有衆生皆普化(しょうしゅじょうかいふけ)  諸有の衆生みなあまねく化す」といえり。
 
(現代語訳)曇鸞大師は『浄土論註』において、次のように言われます、「往相の回向も還相の回向も弥陀の本願力によります。往生浄土の身と定まるのは、ただ信心によってです。煩悩に染まった凡夫も、信心を得さえすれば、この生死の迷いがそのままで涅槃であることを分からせていただけるのです。そして往生できましたならば、一切の衆生を救う働きをさせていただくのです」と。

 まえに親鸞は『浄土論註』の眼を通して『浄土論』を読んでいると言いました。しかもその『浄土論註』を親鸞独自の読み方をしますから、もとの『浄土論』はかなり換骨奪胎されていると。あらためて『浄土論』はどんな書物かと言いますと、「かの安楽世界を観じて阿弥陀仏を見たてまつることを示現す。かの国に生ぜんと願ずるがゆゑなり」という天親自身のことばにはっきりあらわれています。浄土に往生したいと願い、浄土と阿弥陀仏の姿を見たてまつりたいというのです。そして「いかんが観じ、いかんが信心を生ずる」かという問いを立て、五念門を行じなければならないと答えます。前に上げました礼拝・讃嘆・作願・観察・回向の五行です。


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