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善導という人 [『正信偈』を読む(その126)]

            第18章 善導-光明と名号

(1)善導という人
            18
 善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶっしょうい)  善導、独(ひと)り仏の正意を明かせり。
 矜哀定散与逆悪(こうあいじょうさんよぎゃくあく) 定散と逆悪とを矜哀して、
 光明名号顕因縁(こうみょうみょうごうけんいんねん) 光明・名号、因縁を顕(あら)わす。
 
 (現代語訳) 善導大師は唐の時代にただ一人、『観無量寿経』にあらされた釈迦仏の真意を明かしてくれました。つまり弥陀如来は、定善・散善を行う善人も、十悪・五逆を行う悪人もひとしく慈しんでくださり、浄土往生のために光明の縁と名号の因とを与えてくださったということを明確にしてくれたのです。

 中国の三高僧の最後、善導です。曇鸞と道綽によって形づくられてきた中国浄土教の総仕上げをした人です。唐のはじめ、その勢いがもっとも盛んであった頃に、その都・長安の光明寺で僧俗に向けて念仏の教えを説き、『観経疏』をはじめとする書物を残しました。そしてその『観経疏』の中の一文がはるか後の日本で法然の目に留まり、日本浄土教が花ひらくきっかけとなったのです。法然はその著『選択本源念仏集』の最後のところでこう言っています、「ここにおいて貧道(ひんどう、わたくし)、昔この典(観経疏)を被閲(ひえつ)して、ほぼその素意を識(し)る。たちどころに余行(よぎょう)をとどめて、ここに念仏に帰す」と。『観経疏』に出会った喜びが目に映るようです。


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