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「神の国はあなたたちの中にある」 [『正信偈』を読む(その144)]

(5)「神の国はあなたたちの中にある」

 少し前に読んだ本(大澤真幸著『夢よりも深い覚醒へ』)にこんな記述がありました。「悔い改めよ、神の国は近づいた」はイエスのメッセージとして知られているが、これはもともとバプテスマのヨハネ(イエスに洗礼を授けた人物)のことばで、イエスはむしろ「神の国はあなたたちの中にある」と述べたのだと言うのです。
 「神の国は近づいた」と「神の国はあなたたちの中にある」―その違いは明らかでしょう。「神の国はいまだない」と「神の国はもうすでにある」の違いです。前者は「神の国はまもなくやってくるから、それに備えて悔い改めなさい」というのに対して、後者は「神の国はもうすでに目の前にあるではありませんか、目を覚ましなさい」というのです。
 神の国を浄土に置き換えますと、「浄土は近づいた」と「浄土はすでにある」になります。浄土を前方に見るか、足下に見るかということです。
 いま生きているこの世は紛れもなく穢土ですから、浄土は前方にあるというのが筋でしょう。ここがすでに浄土だというのはどう考えても理屈にあいません。しかし浄土が「前方」すなわち「これから先」のことにせよ疑いなく存在するということは、おのずから「足下」すなわち「いま」に浸透してこないでしょうか。
 「前方」は「前方」であって、「足下」とは何の関係もないのでしょうか。そんなはずはありません。
 こんな場合を考えてみましょう。ぼくはいま日本にいますが、来年には必ずアメリカに行くことになっているとします。いまいるのは日本でアメリカではありませんから、ここがすでにアメリカだなどと言いますと正気を疑われるでしょう。アメリカはあくまで「前方」にあります。でも「前方」にあるはずのアメリカが、そのことで頭が一杯になっているぼくの「足下」に浸透してきてはいないでしょうか。


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