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法然という人 [『正信偈』を読む(その154)]

            第22章 法然―真宗の教証、片州に興す

(1)法然という人
             22
 本師源空明仏教(ほんしげんくうみょうぶっきょう) 本師源空は仏教をあきらかにして、
 憐愍善悪凡夫人(れんみんぜんまくぼんぷにん)   善悪の凡夫人を憐愍せしむ。
 真宗教証興片州(しんしゅうきょうしょうこうへんしゅう) 真宗の教証、片州に興す。
 選択本願弘悪世(せんじゃくほんがんぐあくせ)   選択本願、悪世にひろむ。
 
 (現代語訳) わが師、源空(法然)上人は仏教の真髄が念仏にあることを明らかにして、われら善悪の凡夫を導いてくださいました。浄土の真実の教えをわが日本に興して、弥陀選択の本願をこの悪世にひろめてくださいました。

 いよいよ七高僧の最後、法然にたどりつきました。いちがいに七高僧と言いましても、龍樹から源信までの六人と法然とでは決定的に異なります。言うまでもありません、親鸞は法然の面授の弟子だからです。もうその経緯を詳しく述べる必要はないでしょう。二十九歳にして親鸞は吉水の法然を訪ね、その専修念仏の門に入ったのでした。
 以来、三十五歳のとき承元の法難に遇い、西と東に離れ離れになるまでの六年間、二人は師弟として念仏の教えを喜びあったのです。法然は親鸞が越後に流されている間に亡くなりますから、二人が一緒に過ごせたのはたったの六年ですが、それはきっときわめて濃密な時間であったに違いありません。
 

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