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『唯信鈔文意』を読む(その1) ブログトップ

冒頭の一文 [『唯信鈔文意』を読む(その1)]

             第1回 はじめに

(1)冒頭の一文

 これから親鸞の『唯信鈔文意』という書物を読んでまいりましょう。なにはともあれ、その冒頭の一文から。

 『唯信鈔』といふは、唯はただこのことひとつといふ、ふたつならぶことをきらふことばなり。また唯はひとりといふこころなり。信はうたがひなきこころなり。すなわちこれ真実の信心なり。虚仮(こけ)はなれたるこころなり。虚はむなしといふ、仮はかりなるといふことなり。虚は実ならぬをいふ、仮は真ならぬをいふなり。本願他力をたのみて自力をはなれたる、これを唯信といふ。鈔はすぐれたることをぬきいだしあつむることばなり。このゆへに『唯信鈔』といふなり。また唯信はこれ他力の信心のほかに余のことならはずとなり。すなはち本弘誓願なるがゆへなればなり。

 (現代語訳) 聖覚法印の書かれた『唯信鈔』という書名ですが、唯とは「ただこのことひとつ」ということ、ふたつ並ぶことをきらうことばです。また唯とは「ひとり」という意味でもあります。信といいますのは「疑いのないこころ」ということで、つまりは真実の信心です。虚仮からはなれているこころです。虚とは「むなしい」ということ、仮は「かりである」ということです。あるいは、虚は「実ではない」ということ、仮は「真ではない」ことです。本願他力をたのんで自力をはなれていること、これが唯信です。鈔といいますのは、すぐれたことを抜き出し集めたものということで、こんなわけで『唯信鈔』と言います。また唯信とは、他力の信心のほかに何も要らないということです。それが本願というものです。

 冒頭で『唯信鈔』という書名について噛んで含めるように解説してくれます。難しい漢語を易しい和語におきかえ、ただ頭で理解するのではなく、腹に落ちるように解説するという手法は親鸞の得意とするところで、『一念多念文意』や『尊号真像銘文』といった書物だけでなく、彼が関東の弟子たちに送った書簡でもしばしばお目にかかることができます。


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