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実体ということ(つづき) [『唯信鈔文意』を読む(その25)]

(11)実体ということ(つづき)

 何らかの働きがあれば、そこには必ずその働きをしている「なにものか」がいる、と見ることのメリットは何か。その反対の場合を考えてみましょう。何らかの働きがあると思うだけで、その働きをしている「なにものか」には関心を向けない場合。 
 これがどんな事態かを想像するのははなはだ困難ですが(なにしろぼくらは四六時中そこには必ず「なにものか」が存在すると考えて暮らしているのですから)、こんな例を取り上げてみましょう。蛾などの虫には「走光性」という習性があり、ひかりのあるところに向かいます。これはひかりに反応しているだけで、そのひかりが何から発しているかには関心をもっていません。
 ひかりが太陽から来るのか、月や星から来るのか、それとも街灯から来るのかは関係なく、とにかくひかりそのものに反応しますので、誘蛾灯などに集まってはあっけなくいのちを落としてしまうのです。一方、ひかりがあれば、それを発する実体があると考えるぼくらは、これまで見たことのないひかりに遭遇しますと、このひかりは何からくるのかと頭を廻らします。
 それを繰り返すことによって、ひと口にひかりと言っても、それを発する実体によってさまざまであり、また同一の実体が発するひかりでも時間により、状況によっていろいろに変化することを了解できます。こうしてさまざまなひかりを自分たちの都合に合わせてうまく利用することができるようになるのです。
 これがぼくらの戦術です。どんなことにも原因があると見ることによって、何かが起こればその原因を突き止め、そうすることでもう一度同じことを起こさせたり、逆に、それが起こるのを回避したりできるように、何らかの働きがあれば、その働きをしている実体があると見ることによって、その働きのありようを細かく区別することができ、より効率的に利用することができるのです。


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