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『唯信鈔文意』を読む(その30) ブログトップ

本文3 [『唯信鈔文意』を読む(その30)]

             第3回

(1)本文3

 第2回のところで親鸞は、法照の偈文「如来尊号甚分明 十方世界普流行 但有称名皆得往 観音勢至自来迎(如来の尊号は甚だ分明なり。十方世界に普く流行せしむ。ただ名を称するのみありて、皆往くことを得。観音・勢至おのづから来り迎えたまふ)」の前半2句「如来尊号甚分明 十方世界普流行」について注釈を施していました。南無阿弥陀仏という不思議な「こえ」が世界中に遍満しているというのです。
 そしてこれから後半2句「但有称名皆得往 観音勢至自来迎」の長い註釈が始まります。それを便宜上5段に分け、まずその第1段です。

 「但有称名皆得往(たんうしょうみょうかいとくおう)」といふは、但有は、ひとへに御なをとなふる人のみ、みな往生すとのたまへるなり。かるがゆへに称名皆得往といふなり。「観音勢至自来迎(かんのんせいしじらいこう)」といふは、南無阿弥陀仏は智慧の名号なれば、この不可思議光仏の御なを信受して憶念すれば、観音・勢至はかならずかげのかたちにそえるがごとくなり。この無碍光仏は観音とあらわれ勢至としめす。ある『経』には、観音を寶應聲菩薩(ほうおうしょうぼさつ)となづけて日天子(にってんし)としめす。これは無明の黒闇(こくあん)をはらわしむ。勢至を寶吉祥菩薩(ほうきっしょうぼさつ)となづけて月天子(がってんし)とあらわる。生死の長夜をてらして智慧をひらかしめむとなり。

 (現代語訳) 次に「但有称名皆得往」ですが、「但有」とは、ひたすら御名を称える人だけが、みな往生すると言われているのです。ですから、「称名皆得往」と言うのです。さて次に「観音勢至自来迎」と言いますのは、南無阿弥陀仏は智慧の名号ですから、この不可思議光仏の御名を信じて受け止め、心に思い浮かべますと、観音菩薩と勢至菩薩は必ず影の形に添うように寄り添ってくださいます。無碍光仏は観音菩薩となり、勢至菩薩となって現れます。観音を寶應聲菩薩と名づけ、また日天子とも言います。これは無明の暗闇を払って照らし出します。勢至は寶吉祥菩薩と呼ばれ、月天子とも言います。こちらは生死の長夜を照らして、智慧をひらかせてくれます。


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