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世界は「南無阿弥陀仏」の声で満ちている [『唯信鈔文意』を読む(その61)]

(16)世界は「南無阿弥陀仏」の声で満ちている

 森の中で目を閉じてみましょう。風の音、せせらぎの音に混じって、いろいろな小鳥の声が聞こえてきます。その声がどうかしたはずみに「生きてきてよかったね」と聞こえます。あるいは「そのまま生きていていいんだよ」と聞こえる。これが十方無量の諸仏の声です。目を開いていますと、その声がどこからくるのかとその姿を追います。目にはそういう習性があるのです。
 でも目を閉じますと、ただ声だけが辺りに満ちています。その姿を目で捉えようとすると、見えるのは小鳥たちでしかありません。それを十方無量の諸仏というのは憚られます。でも目を閉じて聞こえてくる声が十方無量の諸仏です。大小のいのちたちが「生きてきてよかったね」といのちの素晴らしさを讃えあっている。これが十方無量の諸仏の称名です。
 源左の耳に「源左たすくる」と聞こえたのは小鳥の声かもしれません。あるいは隣にいる牛の声だったのかもしれません。ともかくそれが「源左たすくる」と聞こえた。ひょっとしたら源左はそれを亡くなった親父の声だと思ったかもしれず、そこから輪廻の思想が生まれてくるとすれば、それはとても自然な感じがします。死んだ親父が小鳥となって南無阿弥陀仏を届けてくれる。
 かくして世界は無量の諸仏の声で満たされるのです。世界は「南無阿弥陀仏」の声でとてもにぎやかです。

               (第4回 完)

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