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自分の経験を語る [『唯信鈔文意』を読む(その121)]

(13)自分の経験を語る

 そこで再度問います、お寺でお坊さんが説教することにどんな意味があるのかと。
 親鸞の時代、今日のような真宗のお寺はありませんでした(本願寺というお寺ができたのは、親鸞の曾孫、覚如のときからです)。そして親鸞は「非僧非俗」の立場をとりました(ただ、親鸞の肖像画を見ますと、頭を丸め袈裟をかけていて、僧としての姿かたちをしていますが)。
 ではお寺もなくお坊さんでもない親鸞は関東で何をしていたのかと言いますと、やはり念仏の教えを説いていたに違いありません。
 お寺ではないにしても、念仏道場とも言うべきものが各地に自然発生的にでき、そこを歩いては念仏の話をしていたことでしょう。しかしそれは「これから」浄土へ往くにはどうしたらいいかではなく、「もうすでに」浄土にいることに気づくにはどうしたらいいかでもないことは、これまでのことから明らかです。
 では何の話をしていたか。「本願を信じ念仏をまうさば仏になる」(『歎異抄』第12章)とはどういうことかを、自分の経験の中で語ることしかありません。
 くどいようですが、本願を信じるにはどうしたらいいか、念仏をまうすにはどうしたらいいか、そして仏になるにはどうしたらいいか、ではありません。そうではなく、いま現に本願を信じ、念仏をまうしていることがどういうことか、そして仏になるとはどういうことかを自分自身の経験において何度も語ることです。
 そして親鸞の話を聴く人たちはといいますと、自分の念仏と親鸞の念仏とをつき合わせ、ある人は「ああ、同じだ」とその一致を喜び、ある人は「ああ、自分の念仏は自力の念仏だった」と思いを新たにすることでしょう。

               (第8回 完)

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