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法然と親鸞 [『唯信鈔文意』を読む(その172)]

(7)法然と親鸞

 冒頭で、どうして親鸞は『唯信鈔』を読むように勧め、この『唯信鈔文意』を著したのかという疑問を投げかけました。その疑問をもちながら読み進めてきまして、疑いはますます深まってきたのを感じます。もう至るところで聖覚的なものと親鸞的なものとのズレが露呈して、あたかも聖覚との違いを浮き上がらせることによって親鸞の他力思想を明かにするような格好になりました。
 それはそれでいいのですが、「一体どうして親鸞は聖覚を?」という疑問は残ったままですので、終わりに当たってこの問いに答えるべく努力したいと思います。
 問題は結局、法然と親鸞ということになるでしょう。聖覚は法然を祖述しているのですから。さて、親鸞にとって法然はどういう存在か。言うまでもありません、本願に遇う機縁となった特別な人です。親鸞と法然が共に生きた年月はわずかなものです。二十九歳の親鸞が六十九歳の法然のもとを訪ねて、直に教えを受けることができたのはたったの6年です。
 承元の法難で親鸞は越後に、法然は土佐へ(実際は四国に渡ることはなかったようですが)流され、4年後には赦免となりますが、法然はその直後に亡くなりますから、二人は再会することができませんでした。しかしその前の6年の間に『選択集』の書写を許され、肖像画をいただいたことを親鸞は涙ながらに記録しています(『教行信証』後序)。
 親鸞が弟子に語ったことばとして「ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかぶりて云々」や「たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ」などが残されていますが、これ以上に二人の間柄をよくあらわすものはないでしょう。

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