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『一念多念文意』を読む(その9) ブログトップ

本文1 [『一念多念文意』を読む(その9)]

(9)本文1

 ようやく『一念多念文意』の本文に入ります。

 「恒願一切臨終時、勝縁勝境悉現前(こうがんいっさいりんじゅうじ、しょうえんしょうきょうしつげんぜん)」といふは、「恒」はつねにといふ、「願」はねがふといふなり。いま、つねにといふは、たえぬこころなり。おりにしたがふて、ときどきも、ねがへといふなり。いま、つねにといふは、常の義にはあらず。常といふは、つねなること、ひまなかれといふこころなり。ときとしてたえず、ところとしてへだてずきらはぬを、常といふなり。「一切臨終時」といふは、極楽をねがふよろづの衆生、いのちおはらむときまでといふことばなり。「勝縁勝境」といふは、仏おもみたてまつり、ひかりおもみ、異香おもかぎ、善知識のすすめにもあはむとおもへとなり。「悉現前」といふは、さまざまのめでたきことども、めのまへにあらわれたまへとねがへとなり。

 (現代語訳) 「恒願一切臨終時、勝縁勝境悉現前(つねに願はくは一切臨終の時、勝縁・勝境ことごとく現前せん)」と言いますのは、「恒」は「つねに」ということで、「願」は「ねがう」ということです。今「つねに」と言いましたのは、「絶えない」ということです。折にしたがって、ときどきに、願いなさいということです。「恒に」と言いますのは、「常に」とは違います。「常に」とは、絶え間なくということです。どんな時も絶えることなく、どんな所でも隔てなく嫌ったりしないことを「常に」と言うのです。「一切臨終時」と言いますのは、極楽を願うすべての衆生が、いのち終わる時までということです。「勝縁勝境」と言いますのは、仏のお姿を拝見し、光を見、かぐわしい香りをかぎ、善知識の導きにもあえるだろうと思いなさいということです。「悉現前」と言いますのは、さまざまな素晴らしいことが、目の前に現れますよう願いなさいということです。

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