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「ねばならない」ではなく [『一念多念文意』を読む(その12)]

(12)「ねばならない」ではなく

 「念々におこたらず」には「ねばならぬ」が伴います。隆寛は一日一万回の念仏を自らに課していたそうですが、そういうふうになるだろうなと思います。日々忘れないようにするには、それを日課として習慣化することが賢明と言えます。それに対して「おりにしたがふて、ときどきも」の方はこころ穏やかです。きおい立つところがありません。「いいかげん」と見ることもできるでしょうが、反面、肩肘張るよりも穏やかに日々を過ごす方がいい結果をうむとも言えるのではないでしょうか。
 先日こんなことがありました。このところ韓国や中国が反日感情をあらわにしていることについて、ある方がこう言われたのです、「あんなふうに憎しみに身をまかせていると、そのうち彼らのこころが壊れてしまいますよ」と。その方は韓国・中国のやり方にかなり苛立っているように見えました。それにはぼくももちろん平静ではいられないものがあるのですが、でも、翻ってみれば、日本(の政府や一部の人たち)だって憎しみに身をまかせているのではないでしょうか。
 そのとき同席していた方がこう言われました、「何と言っても隣国なんですから、仲良くしなければいけませんよ」と。ぼくも同感でした。民族が違えば気に入らないことがあるのは当然で、双方ともなるべく相手の気にさわることをしないよう気をつけながら付き合っていくしかありません。気にさわることをされたからといって、いきり立って仕返しに相手の気にさわることをするのでは「どこまで続くぬかるみぞ」です。気にさわることをする人たちも、いずれその愚かさに気づくに違いないと、おおように構えるに越したことはないと思うのです。そのためには「ねばならない」意識から距離をとることです。

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