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宇宙の始まり [『一念多念文意』を読む(その45)]

(3)宇宙の始まり

 先回は「ただいま」の中に「もうすでに」と「これから」が畳み込まれているという不思議についてあれこれ考えてきました。しかし、言うまでもないことがですが、そのように考えることは過去(昨日)から現在(今日)へ、そして現在(今日)から未来(明日)へと流れる普通の時間秩序をかき乱すことに他なりません。
 ここでカントの時間論を参照しますと、彼は過去から現在、そして未来へと流れる時間の秩序というものは、ぼくらが経験を積み重ねることにより世界から学び取ったのではないと言います。逆に、ぼくらがこの時間の秩序を世界に当てはめることでぼくらの経験が成り立っているというのです。
 過去に起こったことが原因となり、現在においてある結果を生み出し、それは不可逆的であるということ(時間の前後を逆さまにすることはできないということ)は、ぼくらが世界から学んだことのように思えますが、そうではなく、逆にぼくらが世界をそのような図式で見ているということです。しかし、どうしてそんなふうに言えるのか、世界にもともとそのような秩序が備わっているからこそ、ぼくらは世界をそのように見ているのではないかという疑問が当然おこるでしょう。そう考える方が常識的です。
 宇宙の始まりということを考えてみましょう。
 少し前の新聞におもしろい記事がありました。宇宙の成り立ちを研究している物理学者(名古屋大学の杉山直氏)が書いているのですが、小学生の息子が「宇宙の始まりの前はどうなっているの」とうるさく聞くので、「わからんから聞くな」と、くぎをさしたそうです。ところがその息子、それでめげるような手合いではなく、父親の講演会にもぐりこみ、挙手して質問したといいます、「宇宙が始まる前はどうなっているのですか」と。きっと将来は大学者になることでしょう。

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