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あなたは何さま? [『一念多念文意』を読む(その54)]

(12)あなたは何さま?

 法蔵とは誰かを考えるため、もう一度「このまま生きていていいのか」という問いに戻ります。
 この問いに自分で答えを出すことはできません。出すのは勝手ですが、悲しいかな、何の効力もありません。では、自分以外の誰か、例えば親とか教師とか友人とかが答えを出してくれるでしょうか、「そのまま生きていていい」と。そんな力のある人がいるとは思えません。もし誰かがそのことばを発したら、何か違和感を覚えないでしょうか、たとえそれが自分をこの世に送り出してくれた親であるとしても。
 逆に、「そのまま生きていてはいけない」ということばも、もし誰かがそれを発したら、すごく違和感を覚えます。
 そのことばを発しなければならない職業があります。裁判官です。「あなたは凶悪な犯罪をおかした。よって生きていることは許されない」と宣告しなければならない。裁判員制度の下では、一般市民もそう言わなければならなくなるかもしれません。しかし、このことばには、法的・倫理的な問題のはるか手前のところで、生理的な違和感があります。「そんなことを言うおまえさんは何さまなのか」と反発したくなるのです。
 「そのまま生きていていい」も同じで、そのことばを発する人がいたら、「あなたは何さまでしょうか」と言いたくなります。
 このように、この「たより」は自分で出すわけにもいかないし、自分以外の誰かが出してくれそうもない。にもかかわらず現に「たより」が届いている。いったいこの「たより」の送り主は誰なのか。法蔵とは何ものなのか。ひょっとしたら、もうこのあたりで問うのをやめるべきなのかもしれません。

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