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ひとのものを侵害しようという衝動 [『一念多念文意』を読む(その63)]

(6)ひとのものを侵害しようという衝動

 ぼくにはひとのものを侵害しようという衝動なんかない、と言う人がいるかもしれません。しかし、ちょっと考えてみてください。誰かがあなたのものを盗んだら無性に腹が立ち、「おまえはどうしてぼくのものを盗るんだ」と怒りをぶちまけないでしょうか。で、どうしてそんなに腹が立つのかを冷静に見つめてみましょう。
 怒らないで聞いていただきたいのですが、無性に腹がたつのはあなたの中にもひとのものを侵害しようという衝動があるからではないでしょうか。もしあなたにそのような衝動がまったくなければ、自分のものが盗まれてもそれほど腹が立たないのではないかと思うのです。
 自分の中にもひとのものを侵害しようという衝動を感じるからこそ、この衝動のままに行動してはならないと厳しく自制しています。もう自制しているという意識がなくなってしまうほどその衝動をしっかり抑えつけていることでしょう。
 にもかかわらず、世のなかにはその衝動のままに振る舞うヤツがいるものですから、どうしておまえは…と怒りが激しく燃え上がるのではないでしょうか。ここから明らかになるのは、「わたしのもの」という観念にはもともと何か疚しさのようなものがあるということです。
 しかしその一方で、ぼくらにとって「わたしのもの」という観念は生きていく上で根本的なものです。ぼくらのすべてはこの観念の上に成り立っていると言っていい。これを軽く考えるべきではありません。ときどき「わがものという思いから離れなさい、そうすればあなたの前には素晴らしい人生がひろがっています」と言う人がいますが、その人は「わがものという思い」から離れることがどういうことを意味するのか突き詰めて考えたことがあるのだろうかと思ってしまいます。

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