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『一念多念文意』を読む(その83) ブログトップ

現在存在と過去存在 [『一念多念文意』を読む(その83)]

(10)現在存在と過去存在

 霊魂が存在すると主張する人は、この意味の存在を言っているに違いありません。霊魂は「いつも」存在していて、それは「誰にとっても」存在している、つまり客観的に存在しているのです。UFOが存在するという人も、この現在存在を言っているでしょう。ですから霊魂の存在やUFOの存在を主張するためには、いつでも誰でもこれらの存在にアクセスできる条件(検証可能性)を示すことが求められます。それをしないでは現在存在の客観性・普遍性が保証されないのです。
 さて、では過去存在とは何か。
 現在存在は知覚されますが(見たり聞いたりできますが)、過去存在は知覚することはできず、ただ想起されるだけです。死んだ人を知覚することはできません、ただ思い出すことができるだけです。たとえば亡くなった人の写真やビデオを見ますと、死んだ人がそこにありありといます。しかし、それは死んだ人を知覚しているのではありません。知覚しているのは写真やビデオの画面であって、死者ではありません。ぼくらは写真やビデオの画面を知覚することを介して、死者を思い出しているのです。
 想起するのはこころの中だから、過去存在というのはこころの中の存在のことか、と言われるかもしれません。
 こころの中の存在というのはよく分かりませんが(そもそもこころの中とはどこでしょう)、何か幻影のようなもののことを言っているのだとしますと、そうではないでしょう。写真やビデオを見ながら亡き人を想起するとき、その人はぼくらのこころの中にいるのではありません。写真やビデオが撮られたその場所にいます。それは幻影などというものではありません、まさにありありとそこにいます。ありありとそこにいるのですが、でも知覚しているのではありません。あくまでも想起しているのです。これが過去存在です。

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