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「わがもの」という思い [『一念多念文意』を読む(その104)]

(12)「わがもの」という思い

 『スッタニパータ』を読んでいまして面白いことに気づきました。この書物は、まだ四諦などの教理が整えられる前の初々しい仏教の原型を垣間見させてくれるのですが、中村元氏の解説によりますと、ゴータマの教えは、彼と同時代のマハーヴィーラの開いたジャイナ教とよく似ていて、言い回しもそっくりなものがあるそうです。ジャイナ教は厳格な不殺生戒で有名で、殺生をしなくてもいい商人たちに信徒を広げたと言いますが、仏教も五戒の最初に不殺生を掲げ、ゴータマのことばに、外を歩くときは下を向けとあり、不用意に蟻などを踏み潰さないように注意しています。
 共通点は「わがもの」=所有に対する見方にもあります。ゴータマのことばに「わがものであると執着して動揺している人々を見よ。(かれらのありさまは)ひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。これを見て、“わがもの”という思いから離れて行うべきである」とありますが、ジャイナ教も「無所得」を説き、その五戒の中に入れています(無傷害、不妄語、不偸盗、不淫、無所得の五つで、仏教の五戒は無所得の代わりに不飲酒が入ります)。このように「わがもの」=所有という思いから離れることを説くことにおいても共通しています。
 問題はそのあとです。
 ゴータマは「わがもの」の思いから離れよと言いながら、こうも言うのです、「(真の)バラモンは、(煩悩の)範囲をのり超えている。かれが何ものかを知りあるいは見ても、執着することがない。かれは欲を貪ることなく、また離欲を貪ることもない。かれは〈この世ではこれが最上のものである〉と固執することもない」と。真のバラモンとは世界の真理を心得た修行者ということですが、その人は、貪ることがなく、また貪らないよう力むこともないというのです。

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