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目隠し [『一念多念文意』を読む(その107)]

(15)目隠し

 「わがもの」への囚われに目隠しすると、いつまでも囚われたままですが、それを究め明かすことで、それに煩わされないようになる。
 「わがもの」への執着にせよ、リビドーにせよ、できれば見たくないものです。だから見ないで済むように目隠しをして、一時はやれやれ厄介者をお払い箱にできたと安心します。でも、なくなった訳ではありません(なくすことはできません)から、またいずれ顔を出します。やや、また現れたかと押さえ込む。このくり返しで、ここにはほんとうの安らぎはありません。いつもピリピリ気を張っていなければならない。
 ところがその反対に、見たくないものをあえてじっと見つめ、それを究め明かすことで、不思議ですが、もうそれに煩わされ悩まされることがなくなるのです。見たくないものがなくなるわけではありません。何度も言いますように、ぼくらは生きている以上、それと付き合っていくしかありません。でも、それを究め明かすことで、もうそれに煩わされないようになり、悩まされなくなるのです。
 話が急に変わるようですが、いつ頃からでしょう、南京事件はなかったとか従軍慰安婦問題はでっち上げだと言う人が現れ、それで中国や韓国が激しく反発することが多くなってきました。何人かが言っている分には問題とするに足りないのですが、それを若い世代がけっこう支持しているらしいことが気になります。先の都知事選で田母神候補が予想以上に善戦し、しかも若い世代から多くの票を得たそうです。若者はものを知らないから困ると言われたりしますが、それで片づく問題ではないでしょう。
 自分に不都合なことは目隠しして見なくて済むようにしようとする心理、「囚われ」の心理が若い人たちを中心に強くなっているとすると、ことは厄介です。

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