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縁起と原因・結果 [『一念多念文意』を読む(その113)]

(5)縁起と原因・結果

 たとえば「煩悩に縁って苦しみが起こる」と「煩悩が原因となって苦しみという結果が生じる」。まったく同じように見えます。どの本を見ても、同じと考えているようです。しかしここは定説に逆らっても、ほんとうに同じなのかに拘りたいと思います。そもそも原因と結果とは何かからスタートしましょう。とは言っても、これを厳密に考えようとしますと、ヒュームやカントの議論に遡ることにもなり大ごとですので、ここでは日常的にどのような意味で使われているかを確認するに留めます。
 大事なポイントとなるのは、原因は結果に時間的に先立つということです。どんなに近接していても、そこには必ず前後関係があること、これが原因・結果にとって必須条件です。何かが起こったとき、その原因は何だろうと前を振り返るのは、それをこれから先の教訓にしようとするからです。その出来事が忌まわしいことでしたら、もう二度と起こらないようにと思い、喜ばしいことでしたら、また同じことが起こるようにと願って原因を探るのです。このように原因・結果という観念にとって、そこに時間の継起があるということが本質的です。
 一方、縁起はと言いますと、時間の要素はありません。煩悩に縁って苦しみが起こるというとき、苦しみに時間的に先だって煩悩があり、それが苦しみを引き起こしているということではないでしょう。苦しみの元をたどれば、煩悩という根源に至るということであり、苦しみのあるところ必ず煩悩があるのですが、逆に煩悩のあるところ必ず苦しみがありますから、両者の間に時間の継起は認められません。煩悩という土台の上に苦しみが乗っかっているという関係です。苦しみがあればその下に煩悩があり、煩悩があればその上に苦しみがあるのです。

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