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似て非なるもの [『一念多念文意』を読む(その114)]

(6)似て非なるもの

 いましがた言いましたように、原因・結果の観念は、これから先どうすればいいかという問題意識から生まれてきます。大きな事故が起こったとき、その原因究明のために委員会が設置されるのは、再びそのような事故を起さないようにという思いからです。原因究明はもちろん過去に目が向いていますが、しかし本質的には未来を展望しているのです。一方、縁起の観念には、そのような未来志向はありません。足元をじっと見つめています。足下照顧です。この苦しみの根源はどこにあるのかと垂鉛を下ろし、そこにある煩悩を凝視する。
 いかがでしょう、原因・結果と縁起は似て非なるものであることを納得していただけたでしょうか。
 因みにアリストテレスはその『自然学』において、原因に質料因、形相因、作用因、目的因の四つがあるといっています。いまその詳細に立ち入ることはできませんが、ぼくらが普通に原因と言っているものは、このなかの作用因にあたるものであることに留意しておきたいと思います。それは時間的に結果に先立ち、結果を引き起こす作用をするものを言いますが、他の三つには時間的な要素がありません。そこから見ましても、近代になって原因概念の幅が非常に狭くなったと言うことができそうです。
 さて縁起を狭い意味の原因と同一としてしまいますと、困った結論に導かれます。煩悩が原因となって、苦しみという結果が生じる、としてみましょう。ここから直ちに、苦しみをいう結果を起こさないようにするには、煩悩という原因をなくせばいいという結論が導かれます。実際そう書いてある本もたくさんあるのですが、さてこのような議論についていけるでしょうか。

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