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往相がそのまま還相 [『浄土和讃』を読む(その75)]

(13)往相がそのまま還相

 さてしかし自利がそのままで利他であるということは、往相がそのままで還相であることに他なりません。〈まず〉浄土へ往き、〈しかるのちに〉娑婆に還るのではなく、浄土へ往くことが、そのままで娑婆に還ることである―これをどう理解すればいいでしょう。「往きて、還る」のではなく、「往くことが、そのままで還ること」とはいったいどういうことか。ここで、少し前に検討しました「有限と無限」の問題をもう一度思い起こしたいと思います(4と5)。
 有限はもちろん無限ではありませんが、しかし有限とは別にどこかに無限があるわけではありません。もしそうなら、その無限はもはや無限ではなくなってしまいます。無限はその中にあらゆる有限を包み込んでいなければなりません。イメージ的にいいますと、有限と無限は地球と太陽の関係ではなく、地球と太陽系の関係です。地球はもちろん太陽系ではありませんが、でも地球とは別にどこかに太陽系があるわけではなく、太陽系はその中に地球を包み込んでいます。
 さて往相と還相ですが、往相とは有限から無限へ往く相で、還相とは無限から有限へ還る相と言いかえることができます。もし有限と無限が地球と太陽(前に出した例では名古屋と東京)の関係でしたら、「〈まず〉往きて、〈しかるのちに〉還る」しかありません。でもそれが地球と太陽系(あるいは名古屋と日本)の関係でしたら、「往くことが、そのままで還ること」と言えるのではないでしょうか。地球から太陽系へ往くことは、そのままで太陽系に還ることに他なりません。
 孫悟空は世界の果てまで飛び跳ねたつもりでしたが、ふと気がついてみるとすべてはお釈迦さまの手のひらの上のことでした。

タグ:親鸞を読む
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