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悲劇の発端 [『浄土和讃』を読む(その136)]

(3)悲劇の発端

 『観経』の序分は、阿闍世が父王・頻婆沙羅を幽閉し、殺さんとはかるところから始まるのですが、親鸞はそこからさらに遡り、阿闍世が父殺害をはかるに至った経緯からうたい始めます。

 「頻婆沙羅王(びんばしゃらおう)勅せしめ 宿因その期(ご)をまたずして 仙人殺害(せつがい)のむくひには 七重のむろにとぢられき」(第74首)。
 「頻婆沙羅王命じては、三年のとき待てなくて、仙人ころすそのむくい、獄にきびしく閉ざされる」。

 こんな話が残されています(善導の『観経疏』)。頻婆沙羅王と韋提希夫人との間には子どもがなかったので、占い師に見立てさせたところ、山で修行している仙人が3年後に亡くなり、王夫妻の子どもとして生まれ変ると言います。頻婆沙羅王はその3年が待ちきれず、無道にもその仙人を殺害するのですが、そのとき仙人は「必ずこの怨みは晴らす」と言い残して死にました。こうして韋提希夫人は男子を懐妊するのですが、王は仙人が言い残したことばが気になり、再び占い師に見てもらったところ、「この子はあなたのためにならない」と言われます。そこで韋提希夫人は赤子を高楼から産み落として闇に葬ろうとしたのですが、その子は指を一本折っただけで助かります。これが阿闍世だというのです。
 『涅槃経』(親鸞は「信巻」で、この経に説かれた王舎城の悲劇のくだりを長く引用しています)ではこんなふうに書かれています。頻婆沙羅王が鹿狩りに出たところ、一向に獲物が得られない。これは神通力をもった仙人が鹿を逃がしてやっているからだと邪推して、その仙人を殺害させるのです。死に臨んで仙人はこう言い残します、「われ来世においてまた汝を害すべし」と。このように先の『観経疏』の説話と仙人殺害の理由が異なるのですが、ともあれ悪友・提婆達多は阿闍世に近づき、「あなたが生まれる前に、占い師たちはこの子は父を殺すだろう予言した。だからみんなはあなたのことを未生怨(未だ生まれざるに父に怨を抱く)と呼ぶのだ。その予言を恐れた韋提希夫人は高楼から産み落としてあなたを葬ろうとした」と告げ口をするのです。
 かくして悲劇の幕が切って落とされます。

タグ:親鸞を読む
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