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天神・地祇はことごとく [『浄土和讃』を読む(その179)]

(12)天神・地祇はことごとく

 さてこのあとの7首は、南無阿弥陀仏の人を多くの神々が護ってくれることをうたいます。「信巻」に上げられた現生十益の最初にくる「冥衆護持の益」です。7首を一気に読みましょう。

 「南無阿弥陀仏をとなふれば 梵王・帝釈帰敬(ききょう)す 諸天善神ことごとく よるひるつねにまもるなり」(第100首)。
 「南無阿弥陀仏となえれば、梵天・帝釈うやまいて、家来の神もともどもに、よるひる問わずまもるなり」。
  
 「南無阿弥陀仏をとなふれば 四天大王もろともに よるひるつねにまもりつつ よろづの悪鬼をちかづけず」(第101首)。
 「南無阿弥陀仏となえれば、四天大王みなともに、よるひる問わずまもりつつ、どんな悪鬼もちかづけず」。

 「南無阿弥陀仏をとなふれば 堅牢地祇(けんろうじぎ)は尊敬(そんきょう)す かげとかたちのごとくにて よるひるつねにまもるなり」(第102首)。
 「南無阿弥陀仏となえれば、大地の神はうやまいて、かげがかたちにそうように、よるひる問わずまもるなり」。

 「南無阿弥陀仏をとなふれば 難陀・跋難大竜(なんだ・ばつなんだいりゅう)等 無量の竜神尊敬し よるひるつねにまもるなり」(第103首)。
 「南無阿弥陀仏となえれば、難陀・跋難竜王は、無数の配下ひきつれて、よるひるつねにまもるなり」。

 「南無阿弥陀仏をとなふれば 炎魔法王尊敬す 五道の冥官(みょうかん)みなともに よるひるつねにまもるなり」(第104首)。
 「南無阿弥陀仏となえれば、炎魔大王うやまいて、冥土のけらいひきつれて、よるひるいつもまもるなり」。

 「南無阿弥陀仏をとなふれば 他化天の大魔王 釈迦牟尼仏のみまえにて まもらんとこそちかひしか」(第105首)。
 「南無阿弥陀仏となえれば、他化自在天大魔王、釈迦牟尼仏のおんまえで、まもるとかたくちかいしと」。

 「天神・地祇はことごとく 善鬼神(ぜんきじん)となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり」(第106首)。
 「天神・地祇はことごとく、善鬼神とはなづけたり。これら善神みなともに、念仏のひとまもるなり」。

 ここに登場する神々の名前を確認しておきましょう。まず梵王とは梵天ともいい、色界の初禅天の神で、悟りを開いた釈迦に説法を要請したとされます(梵天勧請)。帝釈は帝釈天で、須弥山の頂上に住み、四天王を配下にもつとされます。四天王とは持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門天)で、須弥山の中腹でそれぞれ東・南・西・北を守護する神々です。堅牢地祇とは大地を司る神、難陀・跋難大竜とは難陀竜王・跋難竜王のことで、水中に住む竜神の代表格です。炎魔法王が地獄の守り神であることはよく知られているでしょう。他化天は他化自在天ともいい、欲界・六欲天の最上階のことで、ここでは魔王が支配しているとされます。
 まあ何といろいろな神々がいることよと驚かされます。

タグ:親鸞を読む
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