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わがものがほ [『歎異抄』を聞く(その72)]

(9)わがものがほ

 「如来よりたまはりたる信心を、わがものがほにとりかへさんとまうすにや」という印象的なことばがあります。ここであたらめて「如来よりたまはりたる」という心境と「わがものがほ」という心境とを比べてみたいと思います。
 己れの人生は宿業により「たまはりたる」ものであると思うのと、己れの人生は「わがちから」で切り拓いてきたのだから「わがもの」であると思うのと。もうひとつ大きな言い方をしますと、自分は歴史のなかでつくられてきたと思うのと、自分こそが歴史をつくってきたと思うのと。突然ですが、高村光太郎を思い出しました。彼のよく知られた詩に「道程」があります。

 僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る
 ああ、自然よ
 父よ
 僕を一人立ちさせた広大な父よ
 僕から目を離さないで守る事をせよ
 常に父の気魄を僕に充たせよ
 この遠い道程のため
 この遠い道程のため

 ひとり大地の上に立ち、自分が切り拓いてきた道をふりかえりながら、これから切り拓
いていくべき道を前に見据えています。ここには自分が人生を、歴史をつくってきたという自負があります。そしてこれからも道を切り拓いていくという誇りがあります。「あゝ、自然よ 父よ」とは言うものの、あくまで道を切り拓くのは「僕」であり、自然=父はそれをたすけ守るだけです。

タグ:親鸞を読む
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