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天皇あやうし [『歎異抄』を聞く(その74)]

(11)天皇あやうし

 「真珠湾の日」という詩において、光太郎はどっぷり歴史に浸っている自分を感じています。「子供の時のおじいさんが、父が母がそこに居た。少年の日の家の雲霧が部屋一ぱいに立ちこめた。私の耳は祖先の声でみたされ、陛下が、陛下がとあえぐ意識は眩(めくるめ)いた」。「道程」では、自分が歴史をつくってきたし、これからもつくっていくという思いではちきれんばかりになっていましたが、「真珠湾の日」では、少年の日のおじいさんや父母の声で満たされながら、歴史に育まれて、歴史につくられてきた自分をしみじみと感じています。そしてその歴史の中心には天皇がいて、「天皇あやうし」と思い、「身をすて」て「陛下をまもろう」と思う。
 この二つの詩は鮮やかなコントラストを見せてくれます。方や自由主義者・個人主義者としての光太郎、方や天皇主義者・民族主義者としての光太郎。ぼくは純粋戦後派ですから(1947年生まれ)、真珠湾の日(1941年12月8日)が光太郎に与えた衝撃(「私の頭脳はランビキにかけられ」)が感覚として分かるわけではありませんが、でもある日突然、自由主義者が天皇主義者にすり替わってしまうというのは何となく理解できるような気がします。自由主義者・光太郎と天皇主義者・光太郎は矛盾なく共存していたと思うのです。それは「みずから歴史をつくる」という思いと「歴史によりつくられてきた」という思いが共存しているということです。
 そして「歴史により育まれてきた」という感覚が光太郎において「天皇あやうし」となってあらわれたというところに怖さがあります。それはドイツ民族主義がヒトラーを媒介として「世界に冠たるドイツ」というかたちをとり、「ユダヤ民族絶滅」に至ったという怖さと同じです。「宿業を感じる」ことと「歴史のなかでつくられてきた」という感覚との微妙な違いに敏感でなければならないと思います。それを疎かしていると、またいつなんどき光太郎のように「天皇あやうし」に足をすくわれてしまうかもしれないのですから。この点については次回にさらに考えつづけたいと思います。

               (第7回 完)

タグ:親鸞を読む
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